自律管理型とアジャイル型産業保健

目次

はじめに

 近年、化学物質の管理手法に関する法改正が行われ、従来の法令順守型から自律管理型の管理に大きな転換を迎えようとしております。自律管理型の手法は化学物質の管理だけでなく、メンタルヘルス・感染症対策など、様々な場面で応用が可能なものです。

 また、コロナ禍においては、エビデンスがない状況下で未知のウイルスに対する感染対策の迅速な実施を余儀なくされる状況があり、従来の管理手法とは異なるアジャイル型ともいえる新たな手法が各企業で用いられたことと思います。こちらもパンデミック対策だけでなく、自然災害や新たなテクノロジーによる健康影響への対応など、様々な危機管理の場面で応用が可能なものと考えられます。

 今回は自律管理型・アジャイル型の健康管理手法を中心に概説したいと思います。

自律管理型産業保健

 自律管理型については、『ハザード情報など、すでにエビデンスがある情報を利用してリスクアセスメントを行い、リスクが許容できない場合には、エビデンスが存在する対策を行ってリスクを低減する手法(森晃爾編. 産業保健ハンドブック)』と定義することができます。

 自律管理型の健康管理を行うメリットについて、法令順守型ではカバーできない課題にも対応できるということがあげられます。例えば、メンタルヘルス対策・仕事と病気の両立支援など、必ずしも法令で規定されていないが企業にとっては重要なトピックが多々あります。また、企業にとって優先度が高い健康課題に対して、無駄がなく効率的な対応ができるというメリットもあります。例えば、化学物質管理に関する法令では、ほとんどばく露の恐れがないような作業でも、特殊健診や作業環境測定の実施を行わければならないこともあります。このように自律管理型では、企業を取り巻く様々な健康課題に対して、リスクアセスメントに基づき優先順位を決めて、効率的にそのリスク低減策をとっていくことが可能となります。

 リスクアセスメントでは、ある健康課題により生じる健康障害の重篤度と、その発生の可能性に応じてリスクを見積もっていきます。具体的な手法として、例えば、化学物質管理ではクリエイト・シンプルといったツールがよく使われております。また、感染症対策では、①病原性の強さ、②不特定多数の人と接するか、③人との距離をとれるかなどでリスクを見積もることが可能です。見積もったリスクが企業として許容できないものであれば、化学物質管理では局所排気装置の設置、感染症対策ではマスク着用・パーテーションの設置などのリスク低減策を行っていくことになります。リスクの見積り・優先度の設定・リスク低減措置などの具体的な進め方は決まったものがなく、企業ごとに検討していくことになります。

出典:厚生労働省職場のあんぜんサイト CREATE-SHIMPLE

アジャイル型産業保健

 アジャイルという言葉を聞きなれないと感じた方もいるかもしれません。アジャイル型の管理手法は、ソフトウェア開発の場面などでよく用いられているもので、『システム開発のサイクルを小さな単位で繰り返し行う開発手法を指します。アジャイル開発が注目を集めた理由の1つは、昨今のビジネスにおける変化の速さ/不確実性があります。このようなビジネス下においては、じっくりと計画を練り上げてから実行するといったアプローチでは変化に即応しにくく、観察とフィードバックを行い最適解を探りながらシステムのレベルアップを図っていくアプローチが可能なアジャイル開発は親和性が高いとされています。(大和総研. WORLD)』このように、変化が速い場面・不確実な場面で効果を発揮する手法と言えます。
 
 アジャイル型産業保健という言葉は一般に定着したものではまだありませんが、ここでは『過去からのエビデンスを応用しながら予測し、先回りして対策を実行し、その影響を継続的にモニタリングし、対策自体を瞬時に見直していく手法(森晃爾編. 産業保健ハンドブック)』と定義します。

 アジャイル型の健康管理を行うメリットについて、自律管理型ではカバーできない未知の課題に対応できるということがあげられます。例えば、過去にはSARS[2002~2003]・新型インフルエンザ(A/H1N1)[2009~2010]・COVID-19[2019~]などのパンデミック、東日本大震災[2011]などの自然災害、福島原発事故[2011]などの大規模事故など、それまでの想定を超える事態がいくつも起きております。その他、気候変動に伴い、夏場の高温環境も従前を大きく凌ぐものになり、線状降水帯の発生による豪雨災害も頻回に起きるようになってきております。富士山の噴火・世界情勢の変化に伴う戦争の勃発など、これまで産業保健の課題にあがることのなかったトピックが、今後は検討すべき課題としてあがってくるかもしれません。また、開発されている新たなテクノロジーとして、例えば、AI・核融合炉などがありますが、これらがどのように健康に影響を及ぼしていく可能性があるかはこれから先に分かってくることかと思われます。

 前述の課題の特徴として、①未知の事象のためにエビデンスの蓄積がないこと、②短期間で広範囲かつ甚大な影響を及ぼしうること、③エビデンスが蓄積される頃にはその事象が消失(ないし変化)してしまっていることなどが挙げられます。つまり、自律管理型のようにリスクアセスメントをしようにも、そのためのエビデンスがそもそもなく、リスクアセスメントができる状態になった頃にはその事象がなくなっており、自律管理型の手法が使えないということになってしまいます。かといって、課題を放置すると被害がさらに深刻なものになり、迅速になんらかの対策を行っていくことが各企業に求められます。

 実際に、コロナ禍の初期には、多くの企業がアジャイル型の対応をとることを余儀なくされたのはないでしょうか。この時は、過去の新型インフルエンザ(A/H1N1)の経験などを基に当面の対策を迅速に立案・実行し、感染者の動向や次々と寄せられる新たな情報などをモニタリングしながら、対策の見直しを順次加えていっていたことかと思われます。このような状況下で、産業保健専門職や担当部門においては、①仮説を設定する能力、②その仮説を検証する能力、③膨大な情報から必要な情報を選別する能力などが問われたのではないでしょうか。このような経験は、今後の新たな危機への対応にもきっと役立つでしょうし、これらの能力を磨いておくことも、これからの産業保健専門職には求められるものと思われます。

引用
・森晃爾編著「産業保健ハンドブック改訂21版」(労働調査会)
・大和総研 WOR(L)D 「アジャイル開発」
https://www.dir.co.jp/world/entry/agile-development
・厚生労働省 職場のあんぜんサイト CREATE-SHIMPLE
https://anzeninfo.mhlw.go.jp/user/anzen/kag/ankgc07_3.htm

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